- ブログ一覧に戻る
- < 現在の表示 (43/101)
- >
散歩 消滅した古墳を探して
桜塚古墳群(東郡)で、今は無い小塚古墳(方墳)・狐塚古墳(方墳)・北天平塚古墳(前方後円墳)が在った場所を探して、南天平塚古墳(円墳/一部現存)や大塚古墳周辺を散歩したときのことを書いてみます。 『新修豊中市史 第4巻 考古』(図版217)に下記の写真があります。現在、大塚公園や南桜塚小学がある付近で、今から84年前(昭和10年)頃の風景です。秋・稲刈りが終わった田圃(タンボ)が広がっています。当時、宅地開発の必要から区画整理の行われる前の貴重な写真です。  北(右)から南へと、大塚古墳・狐塚古墳・御獅子塚古墳(前方後円墳)・北天平塚(キタテンビンヅカ)古墳が並んでいます。東側から撮影したものと思われます。 下の写真では、昭和12年に区画整理事業が始まり、田んぼが無くなっています。  左が北天平塚(キタテンビンヅカ)古墳、右が南天平塚(ミナミテンビンヅカ)古墳。二つの古墳は南北に直線的に並んでいるから、西側から撮影したものと思われます。 この地図は、『新修豊中市史 第4巻 考古』の298頁に掲載されており、これをもっての散歩です。だいたい、この辺かな、での自己満足をしているものです。  23 大塚古墳、25 御獅子塚古墳(前方後円墳)、26 狐塚古墳、27 北天平塚古墳、28 南天平塚古墳 上記の第344図の24番・23番・25番・26番・27番・28番の古墳が在った通りの写真と昭和10年・12年の古墳を写真で見比べてみてはいかがでしょうか。  上記 344図の24番「小塚古墳(方墳)」が、この通りの左側、保健所の向かい辺りに在ったようです。画面の左方向が176号線になります。  344図の23番「大塚古墳」の在る公園に展示されている鉄製の甲冑のレプリカ。  344図の25番「御獅子塚古墳(前方後円墳)」の現在です。画面右方向が176号線・左方向が神崎刀根山線になります。  26番 「狐塚古墳(方墳)」 この通りは、南桜塚小学校と豊中警察署の間の道から、神崎刀根山線方向を撮っています。古墳は通りの左側に在ったようです。(狐塚古墳の単独写真は318頁に掲載)  344図の27番 「北天平塚古墳(前方後円墳) 」26番の一つ南の通り、豊中警察署の南側です。画面前方は神崎刀根山線になります。この古墳は南北に位置してあり、この通りが分断したようです。(『新修豊中市史 第4巻 考古』の図版249に墳丘の断面写真が掲載 / 北天平塚古墳の単独写真は322頁に掲載)  344図の28番 「南天平塚古墳(円墳)」 昭和12年頃この地に円墳が在ったが、十字路ができることとなり、西北隅の部分のみが残されたようです。(南天平塚古墳の単独写真は325頁に掲載) 地図は、『新修豊中市史 第4巻 考古』に掲載されているもので、写真と比べると凄い変化、時の流れを感じさせられます。 発掘された遺物(鉄製の兜・甲冑・剣、馬具、カスガイ等)から、百舌鳥・古市古墳群の被葬者とのかかわりも指摘されているとのことです。 『広報とよなか』の2019年10月号35頁に、11月9日に「国重要文化財大塚古墳出土品 保存修理完成記念講演会」開催との告知がありました(要事前申込)。「世界遺産になった百舌鳥・古市古墳群と密接な関係にあった市内の桜塚古墳群の被葬者たちの具体像に迫る」とのこと。楽しみです。 84年前の写真に写っている古墳には、古墳時代の遺物が埋まっていたのですね!遺物の写真の幾つかを紹介して、終わることにします。参考に、豊中市HPに[大塚古墳の解説記事](https://www.city.toyonaka.osaka.jp/jinken_gakushu/bunkazai/shitei_bunkazai/yuukei/kouko/kouko001.html)がありますのでリンクを貼っておきます。  1.組み合わせた甲冑(東槨)、2.石製把付短剣(西槨) ---- 出典:『新修豊中市史 第4巻 考古』 豊中市史編纂委員会 2005(平成17)年9月30日
掲載日: 2019-10-06 (C135)