- ブログ一覧に戻る 現在の表示 (1/98)
- >
利倉に伝わる話と、遺跡調査。
利倉の春日神社に、淳和天皇の正子皇后が祀られている、お社がある。境内にある由緒書には、皇后さまが病気平癒の祈願をなされたことが書かれています。 神宮寺である正法寺は、天長元年(824)皇后さまの御願により、空海の弟子知泉が開創したと伝えられているそうです。 資料 〇「とよなか歴史・文化財ガイドブック」 〇「日本後記(下)講談社学術文庫」天長元年(824)5月15日条 に淳和天皇がご病気の記録 〇『大阪府全史』に 春日神社の場所は 字茨の垣あり 創建の年月は詳ならず 皇后御祈願 正法寺の場所は 字東宅地にあり 皇后の御願 春日神社の宮寺にして とあります。 [](https://hokusetsu-archives.jp/dbs/page?id=T_00217190) 利倉 春日神社 [](https://hokusetsu-archives.jp/dbs/page?id=T_00217200) 境内にある正子内親王を祀るお社 [](https://hokusetsu-archives.jp/dbs/page?id=T_00217210) 境内にある由緒書 お寺を利倉の地に建てたのも、皇后さまの領地であったからと考えることにします。 昔々の利倉がどの様な所であったか、新修豊中市史・考古の目次からその時代を見ると、 古墳時代の集落遺跡として、利倉西遺跡・利倉遺跡・利倉南遺跡。利倉南古墳群。 飛鳥・奈良・平安時代の遺跡として利倉南遺跡・利倉西遺跡が記されています。 遺跡の報告文は難しいため、利倉西遺跡の1977年(昭和52)に発掘調査した、遺跡の意義を市史から丸写しで紹介します。 遺跡の意義 「 利倉西遺跡は猪名川左岸の自然堤防上に立地する低地遺跡である。当遺跡では古墳時代にも大量の初期須恵器や玉・製塩土器が出土しているが、奈良・平安期にも横板井籠組のような主に役所で使用した格の高い構造の井戸を設置し、墨書土器、宮都型の土器、施釉陶器、円面硯など、顕著な遺物が出土している。恐らく港の機能を持つ遺跡であったと推察する。(457p) 」 利倉北遺跡一次発掘調査の報告には、「・・旧集落地をのぞき碁盤の目状の条理地割が明瞭に残っている・・」と。利倉1~3丁目の調査では、銅鐸片が河川内堆積土より出土したとある ( 郷土資料館に展示されている ) 。 資料 「新修豊中市史 考古」「利倉遺跡 1976利倉遺跡発掘調査団」「利倉北遺跡 第1次発掘調査報告書」 [](https://hokusetsu-archives.jp/dbs/page?id=T_00005074) 1977(昭和52)年 利倉西遺跡全景 [](https://hokusetsu-archives.jp/dbs/page?id=T_00005075) 2014(平成24)年 利倉西遺跡の現在 まとめの言葉は書けませんが、興味を持たれた方は、資料名を書きましたのでご覧いただければ幸いです。
掲載日: 2025-04-10 (C135)