道路のまん中にあるお地蔵さま

お地蔵さまの石像や祠は、多くは路傍(道ばた)にあります。道路(公有地)からは後退して私有地の中にあるのがほとんどです。ところが、豊中市熊野町の「寄せ地蔵」は道路のまん中にあります。 【寄せ地蔵】 [![豊中のお地蔵さま 熊野町size320](/dbs/images/oz00212/T_00212080_000001.jpg)](/dbs/images/oz00212/T_00212080_000001.jpg) 【交差点の様子】 [![豊中のお地蔵さま 熊野町size320](/dbs/images/oz00212/T_00212080_030001.jpg)](/dbs/images/oz00212/T_00212080_030001.jpg) T字型になっている三叉路の進入路のまん中に、丸いコンクリートの枠で囲まれて29体の尊像が祀られています。車の通行の邪魔になりそうに思いますが、通行のスペースは十分にあり、むしろ車が通るときは速度を落とすので交通安全に寄与しているとも言えます。 いつから、どんな経緯で、このような形で祀られているのかとても不思議です。近くのお店の奥さんにお聞きしましたが、「私が嫁いできたときからこのようになっていて、それ以前の状況は分からない。周囲のコンクリートは一度新しく作り替えられたが石仏はむかしのまま。」とおっしゃっていました。 岡町図書館に所蔵されていたアルバムに1968年の地蔵盆の写真がありました。 【1968年の地蔵盆風景】(この記事を書いている現在(2021年)から53年前) [![豊中のお地蔵さま 1968年の写真 熊野町1-11size320](/dbs/images/oz00213/T_00213000_000001.jpg)](/dbs/images/oz00213/T_00213000_000001.jpg) その時の周辺環境 [![豊中のお地蔵さま 1968年の写真 熊野町1-11size320](/dbs/images/oz00213/T_00213000_040001.jpg)](/dbs/images/oz00213/T_00213000_040001.jpg) お地蔵さまのまわりに櫓(やぐら)のように柱が建てられ、子供たちが集まってにぎやかに地蔵盆が行われています。 その時にはすでに今と同じ形でお地蔵さまが祀られていたように見受けられます。 一つの仮説ですが、むかしは集落のあちこちの路傍に祀られていた石仏が、都市開発や道路整備の進行に合わせて、あるとき一箇所に集められたのかも知れません。 この寄せ地蔵については、不思議な言い伝えがあります。表面に見えている石仏だけでなく、下にもいっぱい石仏が埋められているというのです。 「とよなかの史跡巡り」(資料収録『聞き書き』 瀧健三 発行 2008(平成20)年3月)に次のように書かれています。 「旧熊野田村の中心地に、寄せ地蔵があります。道路のまん中に三十ばかりあって、その下にもいっぱい埋まっているという話です。それで道の真中だから動かそうとしたら、何か悪いことが起って、こりゃあいかんとなって、元の通りのままにしてあるというわけです。」 不思議な話ですね。 北摂アーカイブスの「お地蔵さま」に関するブログの一覧は、こちらをご覧ください https://hokusetsu-archives.jp/cms/ozizousama/blog

掲載日: 2021-12-16 (C137)