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野田堤をまち歩き
野田の堤を、2022年の12月、小学校校長を務められた瀧健三先生の案内で、北摂アーカイブスの有志で歩いてきました。 今の私たちには、「 堤 」と聞いても、ピンときません。 せいぜい、川の堤防を思うくらいです。 その昔は、豊中は田や畑が広がっていました。農業に必要な水が、水害を起こすこともありました。 その為、穂積囲堤・野田の堤が築かれました。 [![手書き地図size320](images/bg00214/T_00214670_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214670_000001.jpg) 上記手書き地図の、黒い線が野田の堤(東西部分)にあたります。 まち歩きコース:阪急・庄内駅東口 ⇒ 176号線を東に渡る ⇒ 天竺川右岸堤防に上がる ⇒ 車に注意し北上 ⇒ 堤防は右方向に変わる ⇒ 堤防を進まず目前の斜面(能勢街道)を下りると招魂碑がある。 ❝地図・写真にポイントしてクリックすると大きくなります❞ [![招魂碑size320](images/bg00214/T_00214480_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214480_000001.jpg) 西南戦争 ( 明治10年2月~9月 )に徴兵された田中惣吉氏の招魂碑 (現在豊中市庄内東町3-4-6) がある。 (野田村の戸長たちが、明治15(1882)年9月建立)(資料①) [![道標size320](images/bg00214/T_00214520_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214520_000001.jpg) 上記写真は、2018年4月に撮影 ↑ 道標は役行者信仰の講組織、またはこれに所属する人が、大峰山に33度の参詣を達成を契機に建てたものと考えられる。造立者は嘉永6年(1853)、長島村の庄次郎と判読出来る。 ↓ 道標の立っている場所は、豊南町西1丁目10、日電橋の南東に立つ。もとは高川堤沿いの三国街道筋に立っていたようだ。(資料② 道標より) [![道標そばsize320](images/bg00214/T_00214510_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214510_000001.jpg) [![稲津三丁目バス停size320](images/bg00214/T_00214530_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214530_000001.jpg) 阪急バス・稲津三丁目バス停の後ろの〝 高み 〟が、野田の堤の東端部分にあたります。 (写真をクリックし、拡大して〝 高み 〟をご覧になってください。) [![駐車場壁のスリットsize320](images/bg00214/T_00214540_010001.jpg)](images/bg00214/T_00214540_010001.jpg) 電機会社の南側 ( 野田小曽根線 ) の駐車場・屏の端に防水の遮蔽版を入れるスリットが在る。 [![176号線に土嚢袋size320](images/ha00214/T_00214750_000001.jpg)](images/ha00214/T_00214750_000001.jpg) 昭和8年(1933年)、176号線が開通して野田堤を切った。 その後10年の大雨で天竺川が氾濫し、その水が176号線を流れた。 その時の写真 (「豊中市立岡町図書館所蔵」「鹿島友治先生寄贈」)。 場所は、現在の176号線庄内東町信号付近にあたります。 [![野田堤防の記念碑size320](images/bg00214/T_00214690_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214690_000001.jpg) 176号線庄内東町信号(稲津町歩道橋)西側に在る〝さくら広場〟の南側に、野田水防倉庫と野田堤防の記念碑が在る。 ↓ 野田堤防の由来が書かれています。 [![野田堤防の記念碑 文面size320](images/bg00214/T_00214710_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214710_000001.jpg) 野田小学校30周年記念誌「わたしたちの郷土 墅田」32頁に、「今ものこる野田堤-阪急電車ガード下から学校への道-」堤防の写真が掲載されている。 阪急電車の高架を潜る。 [![阪急電車高架西側size320](images/bg00214/T_00214570_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214570_000001.jpg) 高架を西側に出た所に、防水の遮蔽版を入れるスリットが在る。 [![住居表示案内板size320](images/bg00214/T_00214700_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214700_000001.jpg) [![野田小学校正門(南)size320](images/bg00214/T_00214580_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214580_000001.jpg) 野田小学校前・押しボタン式信号がある。 野田小学校の30年 記念誌に14頁「・・学校の南側に堤防があり・・堤防からさかを下るようにして学校に入りました。東町からは、堤防の上を歩き、ふみきりをわたって通学していました。・・」と記されています。 正門前の横断歩道が「・・さかみちをくだるように・・」に該当するのでしょうか⁉ (資料③) [![島田公園)size320](images/bg00214/T_00214490_000001.jpg)](images/bg00214/T_00214490_000001.jpg) 野田小学校の前を西に進むと、左側に道より数メートル下に島田公園がある。 資料① 『ミステリー探訪西南戦争招魂碑と真田山陸軍墓地』近代史文庫研究会 高市光男 著 資料② 『とよなか歴史・文化財ガイドブック(2版)』66頁-8(野田輪中堤)、67頁13(道標) 豊中市教育委員会 資料③ 『わたしたちの郷土 墅田 創立 30周年記念誌』豊中市立野田小学校 下記の地図は国土地理院のWebページにリンクしています。 終戦以前 ( 昭和20年、第二次大戦 ) の野田堤を見ることができます。 表示されている画面の H 型をしているのが、176号線庄内東町信号そばの稲津町歩道橋です。 画面左側の「-」を三度クリックしてその後で、画面左上の「地図と書かれた小さな四角」をクリックすると小さな画面がでます。「年代別の写真」をクリックし、その中で「1936年から1942年頃」をクリックすると空撮写真が表示されます。 画面は操作部分と写真の部分が表示されます。境目部分に「〈 」をクリックすると空撮写真だけが表示されます。 昭和11年(1936)~昭和17年(1942)頃の空撮写真で、農地が広がる中に、東西に伸びる野田堤を見ることが出来ます。 <iframe frameborder="2" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" width="100%" height="400" src="https://maps.gsi.go.jp/?hc=hc#18/34.753666/135.47672/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c0g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0"></iframe>
掲載日: 2023-02-28 (C135)