お地蔵さまはいつ建立されたか

路傍にたくさん祀られているお地蔵さまは、いつ建立されたのか? どの時代に、誰が、何を願って像を刻み、ここに祀ったのか、お地蔵さまにまつわる歴史、来歴に興味が湧き、知りたくなりますが、実はそれはなかなか分からない事なのです。 お地蔵さまの来歴がなかなか分からない理由は主に二つあります。 一つは、お地蔵さまをお世話している人が誰なのかが分からないことが多いと言う事情。路傍に祠があって、お花や水が供えられていても、その祠の隣の家の人がお世話しているとは限りません。地蔵盆などの機会に飾り付けをしている人がいればお話しをお聞きするというのが、限られたチャンスです。 そしてもう一つは、お世話している人が分かって尋ねてみても、古いことなので正確に伝わっていないと言う事情。お地蔵さまをお世話している人にお聞きしても、「私が物心ついたときからここに祀られていました。祖母がお世話しているのを見て育ち、母を経て私が引き継ぎました。最初にいつ誰が祀ったのか、聞いたことがないので分かりません。」という事例が多いのです。 北摂アーカイブスに掲示している豊中のお地蔵さまの中で、来歴をお聞きすることができたのは、路傍のお地蔵さまではほんの数例に過ぎません。お寺に祀られているお地蔵さまでは、来歴が書物や伝承として残されていることもあり、詳しい話をお聞かせいただけた事例が数例あります。 これだけの情報では、豊中のお地蔵さまが建立された時期を統計的に把握することは望むべくもありませんが、参考となる資料が大阪市西区での調査資料にあります。 (以下「都会の地蔵さんのフォークロア(3)地蔵マップ今昔」田野登著、月間歴史手帖 昭和63(1988)年掲載 より引用) 昭和60(1985)年に大阪市西区の63のお地蔵さまについて聞き取り調査をした結果、建立された時期ごとに表示した地図が示されています。 [![お地蔵さま資料 二次利用不可画像size320](/dbs/images/lb00213/A_00213310_050001.jpg)](/dbs/images/lb00213/A_00213310_050001.jpg) これをもとに、時代区分ごとに数を数えると下表のようになりました。 [![お地蔵さま資料 二次利用不可画像size320](/dbs/images/lb00213/A_00213310_060001.jpg)](/dbs/images/lb00213/A_00213310_060001.jpg) これはお地蔵さまの建立時期を調べた貴重なデータです。 このような調査がなされ有意義な結果を得られたのは、取り組まれた方々の熱意と努力の賜物であるのは言うまでもありませんが、調査環境(戦前から住宅地化が進んでいた地域であってお地蔵さまを町内で祀る風習が多く残っていたこと)や、実施時期(昭和60年には戦前のことなどを知っている古老が居られた)などの事情もあったことでしょう。 豊中においては、主に昭和30年代以降に大規模な宅地化が行われ、路傍のお地蔵さまを祀る環境(土地区画整理や道路整備など)の大きな変化があったこと、居住者が地方から引っ越ししてきた人(いわゆる転勤族)が多く、住民の流動性が高いこと、それらにより大阪市内よりもお地蔵さまを地域で祀る風習が薄かったと想像されること、などがお地蔵さまの来歴を調べる調査が困難なことと関係があると言えるかもしれません。 とはいえ、地域の歴史資産、民俗資産であるお地蔵さまについて、これからも調査し記録する作業は続けていきたいと思います。 ご参考:豊中のお地蔵さまで最も古い歴史を持つと思われる「あごなし地蔵」について 地域フォトエディターのブログ「小野篁にまつわるお地蔵さま」をご参照ください https://hokusetsu-archives.jp/cms/ozizousama/page/blog/42 【お地蔵さまブログの全体リストはこちら】 https://hokusetsu-archives.jp/cms/ozizousama/blog

掲載日: 2022-04-27 (C137)