| |
  • ページ
  • 1
  • 2
  • 3
  • >
  • >>
  • (表示は20件ずつ)
コレクション: 千里丘陵 (表示範囲 1 〜 20 / 全 1260 レコード)
  • ()
通番 写真 タイトル 撮影年 場所・テーマ 分野
1
[SK13576] セルシースカイプール(千里中央)。6月と記録されているが7月か8月と思われる。公営の北公園や大和谷プールより高かったはずだが千里阪急ホテルよりは安く、大賑わい。家庭用クーラーが普及途上だった時代、夏のプールは大変人気のある場所だった。1975(昭和50)年6月1日新千里東町暮らし
2
[SK13567] 千里北公園にそびえる新宮晋『風の道』。千里ニュータウン完成を記念して設置されたパブリックアートのひとつ。手前の林の木が小さく、足元から全体が見えている。1970(昭和45)年5月17日藤白台公園・自然
3
[SK13564] 千里北公園プール。50mプールも出来ている。南国風の植栽がされ、リゾートのような雰囲気。左の蓮間池もよく見通せる。画面奥には、後年できる体育館や北千里高校、循環器病センターなども何もない。1967(昭和42)~1969(昭和44)年頃藤白台公園・自然
4
[SK13552] 東町三丁目交差点で、ダンプが横転する交通事故。背後は青山台の公団。この交差点では当時事故が多かったようだ。1968(昭和43)年10月31日新千里北町歴史・記録,交通
5
[SK13539] 南千里の千里南地区センタービル前で、来訪された皇太子殿下ご夫妻を見ようと集まった人の群れ。車寄せには貴賓車両が見えるので、到着後かもしれない。丹頂型の公衆電話ボックスや、海外をまねた円筒形の広告塔も見える。1968(昭和43)年3月31日津雲台歴史・記録
6
[SK13532] 北大阪急行桃山台駅の朝。万博後、北急はニュータウン住民の足として役割を切り替え、定着してきた。入線するのは北急所有の2000系。阪急系列を示すマルーンの帯を巻き、内装も阪急の車両に準じた木目デコラだった。1971(昭和46)年12月竹見台暮らし,交通
7
[SK13492] 柳が風に泳ぐ樫ノ木公園の樫ノ木池。釣り人が群がっている。公園の池で釣りをする人は多かったが事故などもあり、厳重に立ち入りが禁止されるようになって釣りも下火になった。1971(昭和46)年3月~4月28日新千里北町公園・自然
8
[SK13486] 北千里駅前のバスロータリーで、選挙演説に聴き入る人たち。千里中央ができて多くのバス始点が移ったためバスの待機がなくなり、この頃の北千里駅前は余裕があった。統一地方選挙の演説と思われる。ロータリー左手は1994(平成6)年にビブレ(→サティ→イオン)ができるが、この頃は空が広い。1971(昭和46)年4月古江台暮らし
9
[SK13447] 千里中央地区センターで、サンタウン(現在の「せんちゅうパル」)1周年のパレード。後年この場所はタクシープールになるが、この時点ではバスのりばがあり、すべて締め出してイベントを行ったようだ。右は千里阪急(百貨店)。1971(昭和46)年3月新千里東町歴史・記録
10
[SK13436] 千里中央地区センターで、サンタウン(現在の「せんちゅうパル」)1周年のパレード。奥に千里中央地区センタービル、左へ専門店街、千里阪急が見える。東から西を向いて撮っている。この道の左手は後年ライフサイエンスセンタービルに、右手は千里中央病院になり景観が一変している。1971(昭和46)年3月新千里東町歴史・記録
11
[SK13414] 千里中央地区センターで、サンタウン(現在の「せんちゅうパル」)1周年のイベント。特設リングにタイガーマスクの姿が見える。左は千里中央地区センタービルで、後年タワーマンションに姿を変えた。この場所は「パルやま」などができている。1971(昭和46)年3月新千里東町歴史・記録
12
[SK13379] 大丸ピーコック地下で、買い出しをする万博ホステス。買い物かごに鍋を入れたりしているのでこれから半年の生活の準備だろうか。新千里東町の公団団地を使った「万博外人村」に住んでいたスタッフか。家庭用の冷凍食品が普及し始めていた頃。1970(昭和45)年春新千里東町歴史・記録
13
[SK13376] 現在の山田駅付近から、万博方面。両脇の中環は開通しているが、クルマが極端に少ないので開幕直前だろう。中央の中国自動車道は最終点検の段階だろうか。西行き車線を一時的に北大阪急行会場線に使い、東行き車線を対面で暫定敵に整備していた様子がわかる。1970(昭和45)年春山田交通
14
[SK13315] 新千里南町での宅地分譲見学会。建物は何も出来ていず心細くなるような風景だが、マイホームを求める人たちの気持ちは切実だった。1970(昭和45)年新千里南町歴史・記録
15
[SK13254] 千里中央公園展望台から古江台~万博方面。そびえているのはエキスポタワー。背後は生駒山方面。未来都市の夜明け。1969(昭和44)年12月古江台、万博歴史・記録
16
[SK13225] 古江台四丁目府営住宅の案内板。一戸一戸の苗字も入っている(当時の感覚では普通だった)。「SENRI NEW TOWN」と英文で書かれたタイトルに新しい町の気概がにじむ。1969(昭和44)年12月古江台たてもの
17
[SK13103] 開幕まであと3ヵ月、万博建設を見物する住民たち。北大阪急行会場線の試運転も始まった。住友童話館や自動車館が見えている。西口に近い、現在の山田北、三ツ辻付近。1969(昭和44)年12月山田歴史・記録,交通
18
[SK13037] 古江台小学校での運動会。大人ばかりの綱引きで、自治会の運動会だろうか。若かった住民の年齢層がよくわかる。1969(昭和44)年10月古江台暮らし
19
[SK12970] 千里南地区センタービル内にあった千里開発センターで、分譲宅地の申込の場面と思われる。町のジオラマやパンフレットに食い入るように見入る様子は真剣そのもの。1969(昭和44)年10月津雲台暮らし
20
[SK12944] 千里南公園で毎年5月に行われた「せんりこどもカーニバル」のひとこま。神楽のような舞を舞っている。どこから呼んできたのだろうか。伝統的な神事がない千里ニュータウンでは珍しい場面。1969(昭和44)年5月津雲台公園・自然
  • ページ
  • 1
  • 2
  • 3
  • >
  • >>
  • (表示は20件ずつ)