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【 新メニューのご案内 】 このページでは、「昔と今の比較」写真のみ表示しています。通常の一覧に戻るにはメニューの「写真データベース」、ページ現在地の「一覧・検索」あるいは こちら をクリックしてください。なお、表示していないコレクションには比較写真はありません。

分類: すべて (表示範囲 1 〜 20 / 比較 全 152 レコード)
通番 写真 タイトル 説明
1
阪急桜井駅北側の商店街(田村橋通) の いま・むかし比較(むかし) 阪急桜井駅から田村橋を経て桜ヶ丘に向かう、通称田村橋通りの沿道にある商店街の風景です。 店舗は、本屋・洋裁店・手芸用品店・菓子店・酒屋・精肉店くらいで、大規模の商店街ではありませんでしたが、人どおりは多く、活気ある街並みでした。(c121) (いま) 道幅は全く変わりませんが、道路中央にあった排水溝は地下に埋め立てられ、また店舗は建替えられ、業種も変わり医院も増えました。(c121)
2
比較: 新三国橋付近 (写真は昭和30年代頃) / 新三国橋付近176号線が神崎川を渡る橋・新三国橋の中程から庄内駅方向を撮ったもので、現在の神洲町にナショナル(松下電器)が在ったころのものです。今は見ない三輪トラックが写っています。 新三国橋は昭和7年に架けられました。
3
阪急曽根駅 いま・むかし阪急曽根駅に開設されたのは明治45(1912)年。駅周辺は昭和初期から郊外住宅地として開発が進みました。人口増加に伴い、駅前を安全で便利な交通環境にするため、昭和47(1972)年に道路の拡張や駅前広場が整備が行われました。 昭和57(1982)年から交通渋滞の緩和と線路による地域の分断を解消するため、高架化工事を開始。上り線は平成6(1994)年に、下り線は平成9(1994)年に高架へ切り替わり、高架下に商店などが開店。駅前広場の改修なども進み、今も多くの人でにぎわいます。
4
蛍池駅前交差点 (いま・むかし)なかなか進まなかった大阪空港へのモノレール延伸が実現した平成9(1997)年、大阪モノレール蛍池駅が開業するに伴い、工事中も地上にあった阪急電鉄の改札口は高架駅の2階に移り、駅前の風景が大きく変わりました。  右の信号前にある建物は、緑の植え込みに囲まれ、その白い窓枠のガラスや赤っぽい屋根が喫茶店のように見える「巡査派出所」。現在も位置は変わらず、ビル仕立ての「螢池交番」として駅前を見守っています。
5
箕面滝道商店街 いま・むかし両側の建物は建て替えられたものが多く、正面に見える観光ホテルも高層になっています。道路もカラータイル状になり、様子が変わっているようですが、商店街には香ばしいもみじの天ぷらの香りが今もただよっています。(作成者:C118・C120)
6
東豊中第二団地のいま・むかし比較?2建設間もない第二団地の様子と現在の比較です。植裁の成長ぶりがすぐ目につきます。 何度かの補修があったことでしょうが42年たってもそのまま同じように団地の建物がその役割を 果たしているのは素晴らしいことです(C102)
7
桜満開の桜塚公園(いま・むかし)桜の名所としても有名な桜塚公園です。ゾウのすべり台があり「ゾウ公園」の名で親しまれています。公園一面が桜に包まれる4月には、“桜まつり”が開催されます。この季節ぜひ足をお運びください。
8
山ヶ池 (服部緑地)  (いま・むかし)その1服部緑地内にある自然豊かな大きな池。一時は白鳥も飼育されていた。昭和31(1956)年から始まった貸しボートは、2人乗りの手こぎボートのほか、白鳥の形の足こぎボートなどがあり、利用者に親しまれたが、平成15(2003)年3月に廃止された。(作成者:C130)
9
比較: 阪急電車高架橋と勝部寺内線 / 阪急高架橋と勝部寺内線この写真は、広報とよなか昭和46年(1971)4月号に掲載されたものです。
10
神崎刀根山線(長興寺北) いまむかし 神崎刀根山線(通称かんとね線) は菰江(こもえ) から上野坂北まで、豊中を南北に結んでいる主要幹線道路のひとつです。この写真はちょうど、大阪府営服部緑地の西側あたりです。松林を切り開いて道路を作っている様子がよくわかります。写真の手前の方は服部緑地から阪急曽根駅に向かう道路の下を通っていて低くなっているため、大雨時の道路交通注意箇所になっています。
11
山ヶ池 (服部緑地) (いま・むかし)その2山ヶ池に白鳥(はくちょう)橋が開通したのは昭和43(1968)年4月10日のため、写真の当時はまだ橋は見えません。代わりに池の南側で飼育された白鳥をボートから守る境界が見えます。 貸しボートは昭和31(1956)年より営業を開始しました。昭和40~50年代にかけて、大いに賑(にぎ)わいましたボートでのデートを楽しむあまり制限時間に戻れず監視員に叱(しか)られたという思い出がある方も多いのではないでしょうか。その貸しボートも、惜(お)しまれながら平成15(2003)年3月に営業を終了しました。
12
豊中市民会館(現豊中市立文化芸術センター)(いま・むかし)昭和43(1968)年に開館した市民会館ですが、施設の老朽化に伴って平成23(2011)年に建て替えを決定。同29年1月に文化芸術センターとしてグランドオープンしました。同年7月には市出身の松本孝弘さんのロックユニット・B'zが凱旋コンサートを行うなど多くのアーティストが公演を行ったり、市民会館と同様にさまざまな式典会場として利用されています。
13
勝部第3号線緑道(いま・むかし)昭和50(1975)年に完成した同緑道。元は勝部地区をを蛇行しながら流れる千里川でした。 昭和42(1967)年7月8日から9日にかけて降り続けた大雨で同川の堤防が決壊し、市に大きな被害をもたらしました。このため、蛇行を解消し、川の流れを真っすぐにすることで水害を防ぐ工事を実施。川を埋め立てた跡地に緑道から造られました。 現在はサザンカのほか、クスやケヤキといったさまざまな木々が茂り、野鳥のさえずりを聞きながら、木陰を散策できる場所として親しまれています。
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豊中グラウンド跡地(高校野球発祥の地)いまむかしグラウンドでは大正4年(1915年)8月に第一回全国中等学校優勝野球大会が行われたので、夏の全国高校野球選手権大会の発祥の地として今はメモリアルパークとなっていて、全国から高校球児たちがよく訪れています。
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国道171号今宮交差点 いま・むかし約40年近く国道171号線を見下ろしてきた今宮歩道橋ですが、付近の街並みもすっかり変わりました。 交通量も多くなった為,また国道171号線に接続していた旧道と今宮交差点が直近となり信号機の取り付け位置も変化し、複雑化されています。(C118)
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保護樹50南昌寺クスノキいまむかし本堂の左側にあるクスノキ、幹の太さが目を引きます
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菰江(こもえ)公園 (いま・むかし)菰江(こもえ)公園は昭和51(1976)年より府営住宅跡地を公園整備し、現在の形になったのは昭和53(1978)年3月です。そばには、図書館や公民館などがあります。園内には緑が多く、木々の間の小道を散策でき、豊中市の指定する『とよなか百景』に指定されています。名称の『菰江』の由来は、公園周辺の旧地名から名づけられました。
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大阪国際空港への三叉路(さんさろ) (いま・むかし)車よりも自転車や歩行者が目立つ産業道路(現・国道176号線)三叉路(さんさろ)。ゲートの矢印にどうぞご注目! 大阪国際空港は、昭和14(1939)年に「大阪第二飛行場」として開港。終戦から昭和33(1958)年まで米軍に接収され「イタミエアベース」とれて呼ばれていました。その当時のゲートには「ITAMI AIRFIELD」と表示され、矢印方向の空港入口までの道添いには駐屯米兵向けのサロンや洗濯屋、飲食店などが立ち並び、「テキサス通り」と称されることもありました。
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比較: 豊中グラウンド / 平成26年豊中グラウンド跡地(高校野球発祥の地)毎年のようにドラマがある全国高等学校野球選手権大会(夏の全国高校野球大会)。高校野球といえば舞台は甲子園。 でも実は、大会の前身である全国中等学校優勝野球大会が初めて開催されたのは、現在の玉井町3丁目にあった豊中グラウンドです。 大正4年(1915年)、第1回大会が豊中で開催 豊中グラウンドは、明治43年(1910年)に開通した箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)が、沿線の集客のため大正2年(1913年)5月に建設したものです。赤レンガの外壁に囲まれたグラウンドは2万平方メートルと広く、当時としては日本一の設備を誇ったそうです。 2014年高校野球発祥の地の碑のある周辺がかわりました。周りにあった日本生命の寮や社宅が次々になくなり、更地になり、玉井町の空が広くなりました。
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螢ヶ池 (いま・むかし)明治43(1910)年、新しい駅の開設時に、当時の地域名「麻田」ではないその風流な名から「螢ヶ池」が採用されたといいます。車窓から見える別の池「南門前(もんぜん)池など」をその池だと思い込む乗客が少なくないですが、螢ヶ池は南刀根山の田畑を潤(うるお)すため池で、駅から東へ数百メートル離れています。 駅名が知れ渡るにつれ、やがて小学校名や町名まで蛍池(現在は螢池)と変更されました。そんな街の移り変わりを池は静かに水面に映し続けます。
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