| 項目 | 内容 |
|---|---|
| ID | T_00100356 |
| タイトル | 桜井谷窯跡群23号窯跡 |
| 撮影年 | 2016(平成28)年9月9日 |
| 撮影場所 | 豊中市永楽荘 |
| 内容・説明 | 窯跡は千里丘陵にあり、千里古窯跡群で、豊中市域では桜井谷窯跡群、吹田市域では吹田窯跡群と称されている。 丘陵部の開発以前は大半が雑木林や竹林に覆われ、細い谷地形に沿って水田や畑が広がっていた。しかし、須恵器(陶器)生産の窯が存在したのは、5世紀後半からで、6世紀中葉から後半にかけて盛行期を迎え、7世紀代に生産が終わることになったとのこと。当時、風景はどんなものだったのでしょう。 その規模は、千里川を挟んで東西の段丘上に分布し、窯跡は40数基に及ぶそうだ。 須恵器生産に必要な自然条件がそろっていた。 ○登り窯を作るための傾斜地があること ○須恵器の陶体になる陶土(粘土)があること ○焼成に使う多量の燃料(木材)があること ○プラス製品の搬出ルート(千里川)があったこと 陶土(粘土)について 窯跡は仏念寺山断層の西側に位置し、段丘層下の淡水性粘土を利用することが出来たものと考えられている。 ≪23号窯跡≫千里川西岸、永楽荘4丁目3にあり、昭和52年(1977)に最初の調査が行われた。窯体と窯体内に窯詰状態の土器が良好に遺存していることなどが明らかになった。操業時期6世紀初め頃。状態は、焼成の最終段階で窯の天井、壁などが崩壊し、そのまま放棄されてとみられている。 須恵器について:5世紀頃に朝鮮半島から伝わった半地下式登り窯で(斜面を利用)、高温で青灰色に焼かれたもの。弥生土器と違って。薄く硬質で、透水性も改善されている。と云われている。 参考:『 新修豊中市史 第4巻考古 369頁~408頁 』 『 とよなか歴史・文化財ガイドブック(豊中市教育委員会発行) 2頁・3頁 』 『 図説日本史通覧(帝国書院発行) 40頁 』 |
| メディア | 写真 |
| 提供者 | 地域フォトエディター |
| 二次利用 | 許可 (表示・非営利・改変禁止) |
| 公開日 | 2018-01-28 |
| キーワード | 窯跡,須恵器,桜井谷,仏念寺山断層,千里川,GB1-1,遺跡 |
| 分類 | まちなみ |
| ページURL | https://hokusetsu-archives.jp/dbs/page?id=T_00100356 |
